2013年01月13日

茅ヶ崎の新春は「高南駅伝」から

明日は1月14日、成人の日です。

祝日の趣旨とは全く関係ないのだけど、我が茅ヶ崎では明日伝統の「高南一周駅伝競走大会」(通称「高南駅伝」)が開催されます。駅伝と言えば「箱根」ですが、我々茅ヶ崎市民にとってはこの「高南駅伝」は新年になくてはならない一大イベントです。ちなみに今年の開催がなんと75回目(100年の3/4と考えるとすごいですね)で、神奈川県内で最も古くから行われているレースなのです。

参加資格は茅ヶ崎市民・寒川町民であること。(地区対抗レースの場合)
茅ヶ崎市・寒川町から160以上のチームが参加して優勝を争います。コースは茅ヶ崎市総合体育館前をスタート・中継・ゴールとして、男子が1区間5250メートル(全5区で26250メートル)、女子が1区間2720メートル(全5区で13600メートル)をタスキでつなぎます。

毎年早朝からびっくりするくらいの大勢の観客が応援に押し掛けて、選手に熱い声援を送っています。
僕の次男も中一から選手として参加していて今年が3年目。受験生なのですがこの駅伝は外せません。(といいつつ、今日も真鶴まで行って駅伝に出てましたが(‐ ‐;)
去年の次男のタイムは17分35秒でチームは3位入賞。今年は中学最後の大会ですから有終の美を飾りたいところ。
ですが明日は冷たい雨のようです。駅伝ですから天気なんか関係なく決行されるのですが、親としてはコンディションも心配です。
なにはともあれ、中学最後のレース。悔いなく走りきってくれるよう祈るのみです。

市民に元気をくれる、全選手にエールを!

「伝統の駅伝 14日に号砲(タウンニュース)」


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posted by Yasushi at 21:27| 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 茅ヶ崎街角 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

冬の歌といえば…

冬の曲。何がお好きでしょう?
少し考えて最初に出てきたのが、古内東子サンの「コートを買って」でした。自分でも少し意外。
もっと昭和の曲が最初に浮かびそうな気がしていたのですが。。
もっともクリスマス前ならまた違う曲だったかもしれませんね。何しろ日本では12/25を過ぎると何十曲もの名曲が「また来年!」とさーっといなくなってしまうのでヾ( ̄o ̄;)

古内さん、実は結構好きなミュージシャンです。女性ファンからの支持が多い人ですよね。
僕もそんなに詳しくはないのだけど、女性の心の動きをすごくリアルに歌っている気がして、ずいぶん前から聞いていました。「うそつき」とかは男の僕が聞いても泣けます(T-T)
BGMとしてではなく、ちゃんと曲を最後まで聞きたいと思える、僕の中では数少ないアーティストのひとりです。
そういえば最近は結婚の報道もあって良かったですね(^―^)



昭和の冬の歌(お約束…でもないか)といえばたくさんありますが、これこそ、というものは本当に古くて、演歌に近くなります。
全体的に歌詞も曲も重い。そしてそれは基本的に雪の重さです。水分をずっしりと含んだ「ボタン雪」の重さをまとった曲が昭和にはありました。有名どころだと、まずはこのへん。



ちゃんとした名曲なんですよ。
このYOUTUBE動画はダークダックスだけど、いろんな人が歌っています。
「雪の降る街を、思い出だけが通り過ぎていく」
どんな思い出が通り過ぎていくのでしょうか。深い歌詞です(‐ ‐;)

あとはこれなんてどうでしょう。



アダモさん(アダモちゃんではない)はベルギー人ですがちゃんと日本語でも歌ってくれてます。
結構小さな子供の時の歌でしたが、「ゆーきーはーふうる」と歌っていた記憶があります。

あと、これは冬の歌といっていいのかどうかわからないけど「アドロ」



歌詞がまたずっしりと重いです。
グラシェラ・スサーナという名前の人が歌っていたのかと今回初めて知りました┐('〜`;)┌
名曲はいつまでも色褪せませんね。


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posted by Yasushi at 23:53| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月10日

夕焼けを浴びるネコの記憶

先日久しぶりに夕方に家にいたのだけど、その際に座敷の窓際で長男ネコのトラキチが夕陽を浴びながら座ってじっと外を見ているのに気がつきました。茶トラの彼が夕陽を浴びると全身の毛が赤く輝いて見えて、それはそれでなかなかキレイなのだけど、そんなことよりもなぜだか突然悲しさがこみ上げてきて、とても動揺しました。

夕陽の中のネコのいったい何が僕の心を揺さぶったのかは、結局よくわかりませんでした。ただ何となく思ったのは、かつて子供の頃にもこんな風景があったのではないかという事です。
小さな頃、僕は北陸に住んでいてやはり茶トラの雄ネコを飼っていました。といっても面倒をちゃんと見ていたわけではなく、遊ぶ相手がいない時に、猫じゃらしを彼にパタパタやって、暇をつぶしていたくらいの付き合い方でしたが。
おとなしいネコであまり鳴き声もあげず、周辺のネコともあまり関わらず、というかよくいじめられていたみたいで、時々目の横にキズを作って帰ってきたりすることもありました。
彼は西の縁側がお気に入りの場所で、よくそこで日向ぼっこをしていました。果たして毛がキラキラしていたかどうか、子供の僕はそんな事まで見ていませんでしたが、縁側に行けば彼がいる事だけは自然にわかっていました。

ある日、夕方に外遊びから帰ってきた僕は、ネコと少し遊ぼうと思ったのか縁側に行ったのですが、ネコはそこにはいませんでした。子供なのでそんな事は大して気にもしないで、違う事に関心は向いてしまったのでしょうが、結局その日寝るまでネコの姿は見ませんでした。
翌日も、その翌日も学校から帰ってきてもネコはいなくて、さすがにおかしいと思ったのか祖母に「近頃いないね」と聞いてみると、「もう逝ってしまったんだろう」という返事でした。
「どこへ行ったん?」
「あの世だよ」
「え?死んだんけ?」
祖母はネコは自分の死期を悟り、その姿を見られないようにいなくなってひっそりと死ぬのだと教えてくれました。
子供の僕にはとてもインパクトの大きな話で、「そうなのか、あいつは死んだのか」と何か感動に近い気持ちを抱いていたような気がします。本当にそのとき死んでしまったのか、その後もどってきたのか記憶に無いのですが、確かにそのネコは最終的にはある日を境にいなくなってしまった事は事実です。
そんな事を思い出しながら、でも思い出してみると、それが原因で悲しさがこみ上げたわけではない気がしました。

よく分からないなりに考えてみたところ、茶トラのトラキチを見ている時に、彼が何かを静かに受け入れているような気がしたのではないかと思うのです。
彼は人間でいうと70歳以上の高齢ネコです。特に大きな病気もせずにこれまで平和に生きてきたけれど、夕焼けに染まりながらたたずんでいる姿は、まるで自分の人生の記憶を、間もなくこの世を去る前に整理整頓しているように見えたのではないかと。
(ネコとしては)長かった人生にはいろんな事があって、いい事もあったけど思い出したくないような悲しい事もあったはず。でも今となってはどちらも自分の人生の記憶だし、ちゃんと受け入れてから行こう、と。
もちろんネコがそんな事を考えているとは思いませんが、要するにそれは僕自身の心の動きなのだろうなと思います。
みんなと同じように、僕もそれなりにいろんなものを抱え込んで生きてきました。
忘れてしまいたい事もそれなりにあります。でも忘れてしまう(避けて通る)のではなく、自分の人生の一コマとして「受け入れる」という選択肢もあるのではないかと最近は思うのです。
若い時はとにかく忘れようとしました。でも歳を重ねると、忘れる事は自分の人生のあちこちを切り取って捨ててしまう事のような気がしてくるのです。そんなあちこちが欠けている人生を抱えながら年を取っていきたくはありません。

正体不明の悲しみは、結局よくわからないままです。
でもその事をきっかけに、普段あまり考えない事を思う時間が持てました。
歳を重ねていくという事は、いろいろと自分に向き合う事が増えるものだなあと、いうのが実感です。

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タグ:猫ねこネコ
posted by Yasushi at 23:40| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | うちのネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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