2013年01月10日

夕焼けを浴びるネコの記憶

先日久しぶりに夕方に家にいたのだけど、その際に座敷の窓際で長男ネコのトラキチが夕陽を浴びながら座ってじっと外を見ているのに気がつきました。茶トラの彼が夕陽を浴びると全身の毛が赤く輝いて見えて、それはそれでなかなかキレイなのだけど、そんなことよりもなぜだか突然悲しさがこみ上げてきて、とても動揺しました。

夕陽の中のネコのいったい何が僕の心を揺さぶったのかは、結局よくわかりませんでした。ただ何となく思ったのは、かつて子供の頃にもこんな風景があったのではないかという事です。
小さな頃、僕は北陸に住んでいてやはり茶トラの雄ネコを飼っていました。といっても面倒をちゃんと見ていたわけではなく、遊ぶ相手がいない時に、猫じゃらしを彼にパタパタやって、暇をつぶしていたくらいの付き合い方でしたが。
おとなしいネコであまり鳴き声もあげず、周辺のネコともあまり関わらず、というかよくいじめられていたみたいで、時々目の横にキズを作って帰ってきたりすることもありました。
彼は西の縁側がお気に入りの場所で、よくそこで日向ぼっこをしていました。果たして毛がキラキラしていたかどうか、子供の僕はそんな事まで見ていませんでしたが、縁側に行けば彼がいる事だけは自然にわかっていました。

ある日、夕方に外遊びから帰ってきた僕は、ネコと少し遊ぼうと思ったのか縁側に行ったのですが、ネコはそこにはいませんでした。子供なのでそんな事は大して気にもしないで、違う事に関心は向いてしまったのでしょうが、結局その日寝るまでネコの姿は見ませんでした。
翌日も、その翌日も学校から帰ってきてもネコはいなくて、さすがにおかしいと思ったのか祖母に「近頃いないね」と聞いてみると、「もう逝ってしまったんだろう」という返事でした。
「どこへ行ったん?」
「あの世だよ」
「え?死んだんけ?」
祖母はネコは自分の死期を悟り、その姿を見られないようにいなくなってひっそりと死ぬのだと教えてくれました。
子供の僕にはとてもインパクトの大きな話で、「そうなのか、あいつは死んだのか」と何か感動に近い気持ちを抱いていたような気がします。本当にそのとき死んでしまったのか、その後もどってきたのか記憶に無いのですが、確かにそのネコは最終的にはある日を境にいなくなってしまった事は事実です。
そんな事を思い出しながら、でも思い出してみると、それが原因で悲しさがこみ上げたわけではない気がしました。

よく分からないなりに考えてみたところ、茶トラのトラキチを見ている時に、彼が何かを静かに受け入れているような気がしたのではないかと思うのです。
彼は人間でいうと70歳以上の高齢ネコです。特に大きな病気もせずにこれまで平和に生きてきたけれど、夕焼けに染まりながらたたずんでいる姿は、まるで自分の人生の記憶を、間もなくこの世を去る前に整理整頓しているように見えたのではないかと。
(ネコとしては)長かった人生にはいろんな事があって、いい事もあったけど思い出したくないような悲しい事もあったはず。でも今となってはどちらも自分の人生の記憶だし、ちゃんと受け入れてから行こう、と。
もちろんネコがそんな事を考えているとは思いませんが、要するにそれは僕自身の心の動きなのだろうなと思います。
みんなと同じように、僕もそれなりにいろんなものを抱え込んで生きてきました。
忘れてしまいたい事もそれなりにあります。でも忘れてしまう(避けて通る)のではなく、自分の人生の一コマとして「受け入れる」という選択肢もあるのではないかと最近は思うのです。
若い時はとにかく忘れようとしました。でも歳を重ねると、忘れる事は自分の人生のあちこちを切り取って捨ててしまう事のような気がしてくるのです。そんなあちこちが欠けている人生を抱えながら年を取っていきたくはありません。

正体不明の悲しみは、結局よくわからないままです。
でもその事をきっかけに、普段あまり考えない事を思う時間が持てました。
歳を重ねていくという事は、いろいろと自分に向き合う事が増えるものだなあと、いうのが実感です。

DSC00529.jpg


ペット(猫) ブログランキングへ
にほんブログ村 猫ブログへ
にほんブログ村
ラベル:猫ねこネコ
posted by Yasushi at 23:40| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | うちのネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

「昼下がり」に妄想

夕べ寝る前に、「昼下がりの赤ちゃんネコ」という動画をYouTubeにUPしました。
好奇心いっぱいの赤ちゃんネコの、ある日の一コマをつないだだけのつたない動画なのだけど、この「昼下がり」という言葉に捕まってしまった。

何とも懐かしいというか、昭和のあの日の記憶(どの日だ)というか、そういうわけのわからないものが頭の中を駆け巡り、しばらく眠れなくなってしまった。
「昼下がり」というと僕ら昭和の男にとっては、ニアリーイコール「団地の主婦」であり、主婦の昼下がりとは、洗濯や掃除を終えて子供が帰ってくるまでの何時間か、「何をしようかしら」と首を傾げている時間、という妄想がグルグルと頭の中を回るのだ。
だから何か、と問われると答えようも無いし、別に首を傾げていたっていいじゃないか、といわれればその通りなのだけど、エプロンを外して前髪を触りながら、タタミの上で洗濯物の向こうの空を見ている主婦の姿がグルグル┐(´〜`)┌

こんな妄想のあとで猫にも申し訳ないのだが、昼下がりの赤ちゃんネコの動画はこちらです(主婦は出てきませんm(__)m)




ペット(猫) ブログランキングへ
にほんブログ村 猫ブログへ
にほんブログ村
ラベル:ななこ
posted by Yasushi at 15:49| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | うちのネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

「ネコまんま」の真実

ゴハンの話です。

ネコのエサと言えば今はキャットフードが当たり前ですが、僕が子供のころ(ん十年前)はいわゆる「ネコまんま」というやつでした。人間が食べてるご飯(白米)に雑魚とかおかかとかを混ぜて、たまには味噌汁とかぶっかけたものを普通にネコや犬たちは食べていました。

今でもご飯に鰹節をかけて混ぜたものや、味噌汁をかけたのを「ネコまんま」といいますが、今のそれってどちらかというと人間が食べるものとしての呼び名ですよね。
あまりネコに「ネコまんま」はやらなくなりました。
最近のネコはあげても食べないしね┐(´-`)┌

それに「ネコまんま」はあまりネコにとってはよい食べ物ではないらしいですね。
うちのニャンズの主治医から聞いた話だと、人間の食べ物はネコにとっては塩分が強すぎるとのこと。それに白米とかは消化がしづらいらしく、おなかをこわす原因になることもあるみたいです。昔のネコたちってタフだったのかな。
ちなみにうちの次男(人間のです)は「ネコまんま」が大好きです(^―^)

鰹節というと思いだすのが「猫に鰹節」ということわざですが、これの意味をずっと「大好きなものをあげる」みたいなとらえ方をしてたんですが、全然違うんですね。
これは「猫に鰹節の番をさせる」の略で、要するに「過ちを起こしやすくてキケンな状態」のことを指すんだと、最近知りました。
人生いくつになっても勉強ですね(゚ー゚)(。_。)

gohan.jpg


ペット(猫) ブログランキングへ
にほんブログ村 猫ブログへ
にほんブログ村
posted by Yasushi at 10:29| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | うちのネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。