また最後に本を読んだのはいつでしょう。
僕は本当はスゴく本が好きで、会社員時代は通勤の電車の中はずっと読書でつぶし、家に帰ってからも続きが気になって読み、結果として週に2〜3冊は普通に読んでいました。
でもこの3年ほどは自営業で毎日が忙しく(T-T)、本当に読書をする時間が無くなってしまい、全然本を読まなくなってしまいました。
去年の秋に何冊か読みましたがそれっきり。
僕は同じ本を何度も読むという読み方が好きです。
1回目は普通にストーリの展開を楽しんで読むのですが、2回目以降は行間に埋め込まれている作者のいろいろな思いが感じられるようになります。
なかなか最初からそこまでを読み取ることは難しく、でも読むたびに新しい発見があったりするので、それはそれで新鮮です。
子供のころ、学生のころに読んだ本もいまだに僕の本棚に残っていて、時々引っ張り出して読むのが楽しみだったりします。昔受けた感動を思い出しつつ、それとは違った味わいも感じながらの読書はきっと一生の楽しみだろうなと思います。
子供の頃は、古典的なホラーやSFを良く読みました。
そんな中で、何度も何度も繰り返し読んだ作家の一人にH・P・ラブクラフトがいます。最近の人は知らないかもしれませんが、「クトゥルフ神話」と呼ばれる太古の善悪の神の物語を、非常に「難解」な文章で書いたアメリカの作家です。「難解な文章の作家」といっても彼はアメリカ人なので、要するに「翻訳」が難解だったわけです。ちなみにラブクラフトの作品の翻訳の多くは、大瀧啓裕氏によってなされています。
僕はつくづく思うのだけど、海外の作家が持つムードというか作品のカラーは、その作家の作品を翻訳している訳者の解釈によるわけで、訳者の力量によって同じ作家でも全然違う作品になってしまうんだろうなと思います。そういう意味でいうと大瀧さんの訳は、僕的にはもう絶品で、読めば読むほどラブクラフトの作品全体に漂う、真っ黒な重い雲のような雰囲気を嫌というくらい味合わせてくれて、ある作品で感じた満足を、別の作品でもちゃんと感じさせてくれるという、すばらしいプロの仕事には全く脱帽させられます。きっと彼は翻訳の作業をしていく中で、作者であるラブクラフトのキャラクターや、生きてきた人生と経験、物事の考え方などをあれこれとイメージしながら、彼が原作を書いていた時と同じ気持ちになりながら、訳を綴っていたのではないかなあと想像します。
といわれても、ラブクラフトの作品を読んでいない人にはさっぱりわからないと思いますが、他の作家であってもこれは同じ話かと思います。よく売れている海外の作家の作品は、概して同じ訳者によって翻訳されている事が多いと思いますが、これはやはりその作家の一番「らしい」ところを、その「らしさ」が最も伝わる日本語に置き換える事ができるから、ではないでしょうか。
大瀧さんの訳の難解さは、ラブクラフトの作品の「重さ」を常に演出していて、僕ら読者が作品から感じたい「味」をしっかりと味あわさせてくれます。そしてその味が、何度も繰り返して味わいたいと思わせる、「麻薬」なんだろうなと、こうやって書きながら改めて感じ入りました。
また久しぶりに読んでみよう(^―^)
皆さんも機会があれば是非。でもちょっと取っ付きにくいですよ。
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